あぶれん坊万歳!!

エンタメ同人誌aBreのブログです。2015年5月4日第二十回文学フリマ東京(C-32)に参加します。

『我楽多道中記』 漆野 束

<予告>

――テディベア×おっさん×東京大震災!
彼はドイツ生まれ、金毛が自慢のテディベア。不気味なオバサンに買われた先で気がつくと……?
アイデンティティーの危機を迎えたテディベアと彼を取り巻く仲間たち、そして謎の美女。諦めとは無縁の彼だったが、アンティークショップの店長との再会にクマ心は揺れる……。果たして彼は本当の自分に戻ることができるのか!?
クマ、時計、カラス、六法全書……東京新宿を舞台に、知られざる我楽多たちの生き様を描く!!

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<立ち読み>

〈クマがヒトである話〉

 私はクマである。
 断じてヒトではない。

 私がいかにしてアイデンティティの危機を迎えたのか。それを語るためには、半年前の四月一日に遡る必要がある。
 そのころの私はまだ、見目麗しいテディベアであった。ただ愛らしいだけではない。ドイツ生まれだ。金毛だ。どこからどう見ても立派なテディベアであったし、もしかするとそれ以上だったかも知れない。その身に災禍が降りかかることなど露ほども知らず、ただにこにこふわふわと暮らしていた。
 先ずこれだけは言っておく。悪いのは〈アンティーク 梢〉の店主であり需要供給曲線であり、私ではない。商魂のない者は店など持つべきではないし、良い品は買い手がいなくたって価値がある。私は充分愛くるしかったし、買われて然るべきだった。
 高貴な私はその身に相応しく、ショーケースの最上段に飾られていた。雲の上にいるようだった。店内の全てが見下ろせた。私はあの店の王だった。しかし、私を雲上から下ろしてくれる人間は現れなかった。
 そしてついに現れたのは、私に触れることすら許されないような貧相なオバサンであった。ショーケースから見た頭には白髪が目立つ。仮にも女性に対して言ってはならないことと分かってはいるが、私を買う金があるのなら先に美容室に行くべきだと言わざるを得ない。店主は彼女を梅と呼んだ。梅はぼそぼそと華のない声で何事か言うが、私のところまでは届かない。しかし彼女が私を所望しており、店主もそれを承知した様子であった。然すれば私に拒否権はない。
 ショーケースから引きずり下ろされ、紙袋に突っこまれた時の私の失望といったら。背中に多少の綻びでもあれば、返品され私に相応しい買い手を待つことができるやも知れぬ。小さなしみや虫食いでも見つかれば。しかし悲しいかな、私は完璧であった。
 けれど望みを捨てたわけではなかった。最悪の事態を想像しがちなのはクマとて同じである。きっと私はプレゼントで、ふくふくと良い匂いのする幼子に引き渡されるのだ。私は小さな救世主の想像を慰みに、乱暴に揺られる紙袋の中で行儀良く座っていた。
 暫く後袋から出された私は、狭い和室の卓袱台の上にぽんと置かれた。目の前には先程のオバサンが座し、愛のない目で私を見ていた。私は一瞬、クマ生の終わりを感じた。このいかにも冴えないオバサンは私の愛くるしさに嫉妬し、このふっくらとした腹を引き裂くつもりではあるまいか。
 私の予感は的中したが、それは私の思う風とは大層違った形であった。