あぶれん坊万歳!!

エンタメ同人誌aBreのブログです。2015年5月4日第二十回文学フリマ東京(C-32)に参加します。

「幼い想い」穂坂一郎

この掌編は『aBre』第一号収録の「幻想家族」(穂坂一郎)の前日譚となります。どなたもお楽しみいただけるかと思いますが、本編の一部設定のネタバレとも受け取れる箇所がございます。ご承知置きの上お読み下さるよう、よろしくお願いいたします。

  →『幻想家族』の立ち読みはこちら

それでは、お楽しみ下さいませ。


「幼い想い」


「あいたっ」
「きゃっ」
 大学からの帰り道、曲がり角で私に体当たりしてきたのは、小さい女の子だった。三歳くらいだろうか。花柄の赤いリュックを背負っている。目がぱっちりして髪の毛もふわふわで、とても可愛らしい。
「おねえさん、ごめんなさい。だいじょうぶですか」
 女の子は早口で上手に喋った。小さいのに賢そうな子だ。私も目を細めてしまう。
「お姉ちゃんは大丈夫だよ。何かあったの?」
「えっと、いろいろあるの。だから、ちょっとかくれんぼさせてください」
 そう言うと、さっと私の影に隠れる。え、ちょっと、と驚いていると、向こうから走ってきた女の人が私に声をかけてきた。
「すみません。ここを女の子が通りませんでしたか」
「え、あの」
「判りました。ご親切にありがとうございます。では」
 お母さんとおぼしき女性は、女の子に気付きもせず走っていってしまった。余程慌てていたのかも知れない。
「ありがとう。おねえさん」
 女の子はぺこりと頭を下げた。どういう事情なのだろう。私は少し屈み、女の子と同じ背の高さになる。
「いいんだけど、どうしたの? さっきのはお母さん?」
 そう聞くと女の子はぶすっとした顔になって、肯いた。可愛いのに勿体ない。
「おかあさんが、うちはねこさんかっちゃだめっていうの。だから、いえでしたの」
「猫?」
 なるほど。子猫を拾ってきたけど、うちでは飼えませんというやつか。私も小さいときにやったことがある。それで家出というのも、ありふれていて微笑ましい。
「このこなの」
 そう言うと女の子はバッグをごそごそと探る。バッグに入れているのか? 息は大丈夫だろうかと慌ててしまったが、彼女が取り出してきたものを見て安堵する。それは猫の縫いぐるみだった。昔は美しかったろう茶色の毛並みは所々禿げかけていて、綺麗とは言い難いけど、なかなかいい顔つきをしている。
「おかあさんが、ねこさん、おうちにあげちゃいけませんって」
 そう言って労るように縫いぐるみの頭を撫でる。なるほど。縫いぐるみと生きている猫は、この子の中では一緒というわけだ。この子は縫いぐるみを、どこかのゴミ捨て場から拾ってきたのだろう。お母さんはそれを不衛生だから、とは言わないで、本物の猫のように扱ったわけだ。先程の焦った顔も本気で子どものことを心配している顔だったし、きっと優しいお母さんなのだろう。
「その子は飼い主のところに帰りたがってるみたいだよ。元の場所に置いてきてあげたらいいんじゃないかな」
 お母さんに荷担するようで少し悪い気もしたが、私は女の子に言い聞かせる。でも彼女はそれでは納得しないようで、まだしかめ面のままだ。
「でもねこさん、すごくさむそうだよ。かわいそうだよ。このまえテレビでみたもん」
 うーん。なかなか難しい。その猫は寒くもないしお腹も空かないと思うのだけど。
「きっと大丈夫だよ。猫さんを信用してあげよう」
「えー」
「猫さんは、ちゃんと飼い主のところに帰って幸せに暮らすんだよ。そう考えてごらん」
「どのくらいしあわせ?」
「おじょーちゃんと同じくらいだよー」お嬢ちゃん、って私は変質者か。でも名前知らないし。目の前の「お嬢ちゃん」はきょとんとした後、眉をひそめた。
「でもおかあさん、だめっていった。おこったおかあさんきらい」
「お母さんも本当に怒ったわけじゃないと思うよ。猫さんの気持ち考えてって、話してみればきっとわかってくれるよ」
「ねこさんのきもち?」
「そうそう。そしたらお母さんも猫さんが寒いのとかひもじいのとか、きっと想像してくれるよ」
「ひもじ?」
「お腹がすごく空いてることだよ」
 そう答えると、きゅるると返事をするみたいに女の子のお腹が鳴った。思わず吹き出してしまうと、彼女の顔が真っ赤になる。
「でもね、でもね、おとうさんはいっつもおしごとであそんでくれないの」
 照れ隠しのように腕を振って頬をぷうと膨らます。
「あとね、おとうさんがおこると、ほんとうのいえのこじゃないんだぞ、っていうの。だから、いえでしたっていいんだもん」
 うーん。働いて疲れたお父さんには、子どもの相手は大変なんだろう。でも、怒るのはいただけない。
「じゃあたまには遊んでくれるお仕事がいいのかな。お父さん、どんなお仕事がいい?」
「んと、ケーキやさん?」
「ケーキ屋さんかあ」再就職するには大変そうだ。
「そしたらケーキ屋さんになって、ってお願いしてみたら。きっとケーキ買ってきてくれるよ」
「ケーキたべたい」
「お腹空いたかな。もう帰る?」
「うん」
 どうやら家出の件は解決したようだった。怒ることより腹具合というのが子どもらしい。
「ああ、そうだ。あのね」
 帰ろうと後ろを向く女の子を私は呼び止める。あとひとつ、言いたいことがあったのだ。
「お嬢ちゃんが、お父さんとお母さんの子どもじゃなかったとしてね」
 まあ、お父さんが言っていたのも、よくある冗談だろう。親の側からすれば、子どもが言うことを聞かないときに有効な手段だ。でも子供の時はそれがすごく不安なものなのだ。大好きな人たちとの間に、繋がりがないということは。
「お父さんとお母さんだって、最初は他人だったんだよ。でもお互いが好きになって、一緒に暮らすようになってから、家族になったんだよ。だから今、大好きなお父さんとお母さんと暮らしてるんだから、もうそれは家族だよ」
「いっしょにくらしてたら、かぞくになるの?」
「そうだよ。だから安心していいんだよ」
「じゃあ、おねえさんともいっしょにくらしたら、かぞくになれる?」
「あはは。嬉しいけど、お姉さんは他に家族がいるからね。でもお嬢ちゃんが寂しくなったら、家族だと思ってもいいよ」
 また家出したら話そうね、と言ったら、女の子はにこっと笑って、ありがとうと言った。初めて見ることが出来た、可愛らしい顔だった。
 女の子と別れると、もう太陽が沈む時間になっていた。急がないと門限を過ぎてしまいそうだ。今日は教授の研究を手伝っていて一日が終わってしまった。また明日も研究室に行かなければならない。あの教授の守備範囲は、ともすればオカルト趣味と思われてしまうような危うい学問なのだけれど、とても興味深い研究なのだ。家に帰ったらしっかり勉強しなくては。それにしても、我ながら恥ずかしいことを言ったものだ。あの子も大きくなったら、私の言ったことがわかる日が来るのだろうか。あのお姉ちゃん、くさいこと言っちゃって、と笑われるのかも知れない。まあ、それでもいい。そう言えば名前聞いてなかった。またどこかであの子と会えるといいなあ、なんて思いながら、私はそそくさと、私を待つ家族の元へ帰るのだった。